オリーブの木の下で 2006.8.6
私が初めてお招きいただいた場所で、必ず語るようにしている聖書の場面がある。
それはヨハネの福音書20章にあるトマスとイエス様の再開場面。
「栄光の傷跡」 というタイトルで私が取り上げる内容は、私自身の信仰の根底に
流れているものと思ってる。

先日読んでいた書物の中で、同じ場面を次のように描写してあり、改めて主の
深い恵みを感じることができた。

「傷つくために生まれ、事実、傷だらけの一生を地上で過ごされたイエスは、
復活後もその栄光に輝く体に、しっかりと十字架上での傷跡を残していらっしゃい
ました。あたかも私たちに 「傷を大切にしなさい」 とおっしゃるかのように。・・・
キリストがその後トマスに 「あなたはわたしを見たから信じたが、見ないで信じる
人は幸いである」 とおっしゃったのは、「見えなくても、人間は一人ひとり傷を
持って生きている。そのことを忘れてはいけない。そのことが信じられる人は
幸いだ」 と言外におっしゃりたかったのか知れません。」

改めて聖書を読み直してみて知った事実。それはイエス様が言われた 「あなたは
わたしを見た」 という 「わたし」 とは、復活のイエス様の体全体ではなかったという
こと。「わたし」 = 「イエス様」 と認識できたのは傷があったからであり、つまり
「あなたはわたしを見た」 という 「わたし」 とは傷口を指している。人生の中で
たくさんの戦いを経験されてきた著者だからこそ語ることができる 「傷をたいせつに
しなさい」 という言葉。私たちの傷口を通して現されるイエス様の栄光に期待しつつ、
傷口を大切に。必ず栄光に変えられる!!


  
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